弘前の太鼓職人

 2009年の夏に編集した、「夏色雑記町」というwebサイトに掲載された記事を、再掲載いたします。

〜塩谷太鼓店 塩谷昭雄さん 弘前市〜



 弘前市の塩谷太鼓店にて。「まだだめだ・・・」 塩谷昭雄さんは、時々ぽつりとつぶやきながら、水に濡らした製作中の、太鼓の皮をつまんでその厚さを確かめてみる。太鼓の皮は、中心になるほど薄く、外側になるほど厚くなるように削る。 そして、太鼓の皮が薄くなればなるほど、音がよくなるのだという。



 ねぷたの太鼓は、祭りの華だ。
大きな太鼓に人がまたがって、長いバチを振り降ろし、ドーンと遠方まで音を響かせる。ねぷたの太鼓には、血を騒がせる何かがある。

 そんなねぷた太鼓を製作している職人、塩谷昭雄さんに2001年の夏、旧尾島町(現在、太田市)のねぷたまつりで、初めてお会いした。
しかし、最初は、「笛のすごく上手な人だ」と、思った。そして、祭りの後で、塩谷さんが太鼓職人だと知らされ、驚いた。
 なぜ、太鼓職人なのに、お祭りでは太鼓ではなく笛を吹いているのか?と塩谷さんに尋ねると、「太鼓は疲れるから」と、さらりと言った。本当に、不思議な人だな、と思った。
  余り、口数が多いタイプではないけれども、話せば、冗談も言うし、一言一句が、どこか肝心な部分、本質をよくつかんでいる。
 そう、言葉の一つ一つが、まるで太鼓の一打一打のように、心に響く。
 いつか、弘前でその仕事場を見せていただけたら、と願っていた。
それが叶ったのは、2009年の6月だった。



 弘前を訪れた時、塩谷さんは、群馬県太田市のある団体の、太鼓皮製作に取り組んでいた。目の前で見せてもらっているのは、皮の厚みを整える作業で、塩谷さんは水で湿らせた太鼓を、カンナのような道具で一心に削っている。削って、水でカスを流して、時々手で厚みを確かめて、とその繰り返し。「この団体は、叩き方が激しいから、少し厚みをもたせて、皮を削っている」と、塩谷さんは手を動かしながら、そう言った。ねぷたは団体ごとに、それぞれ太鼓の叩き方の速さがちがっている。塩谷さんは、それらの団体の特徴や、好みを考えながら、皮の厚さを調整するのだという。
 2008年から尾島ねぷたまつりに登場した10尺太鼓の皮も、塩谷さんの手によって製作された。
  皮の厚みを整える作業は、少しでも太鼓の皮が破けてしまったりしたら、また一からやり直しとなる。塩谷さんは、経験を積み重ねた職人のカンに頼って、この作業を行っている部分もある、という。



 太鼓の皮は、牛は北海道、馬は青森県内で買い付けるのだそうだ。牛の皮は、大きな太鼓を作るのに適しているという。太鼓の桶の部分は、桶屋さんに頼んで製作してもらっている。 太鼓の皮は、まず、水とぬかを使って、ぬか漬けのようにして、皮についている毛を抜く。その後、山で皮を乾かす。 そして、水につけて柔らかくし、太鼓の皮の大きさに切る。それを、棒でほぐし、脂肪など、ついている余分なものを取り除く(荒削り)。 仕上げに、塩谷さんの父が考案した、カンナのような道具で、厚みを整える作業を行う。その作業が終わったら、濡れたままの状態で、皮をロープで引っ張り、桶に張る。 しかし、皮が乾いた後の色は、はっきりと予想がつかないのだという。



 「削り終わった後の皮は、とてもきれいなんだよ」塩谷さんが、そう話している間にも、皮は徐々に、白く、美しく、滑らかになっていく。
 そしてついに、厚みを整える作業が終わり、塩谷さんは、仕上がった皮を持ち上げて見せてくれた。
・・・・・・すごくきれいだ!!皮が、まるで精霊か何かを宿しているかのごとく、清々しい光を放っている。神々しい、とすら思えた。
 きつい、と感じるところもある、というこの太鼓職人の仕事。 しかし、もし、日本に太鼓がなかったら、お祭りも、地域社会も、仲間の輪もへったくれもあったもんじゃない。 塩谷さんの手によって作られたものは、心を揺さぶる音を響かせ、人々の心の中にまで届く。血が騒ぐ。
 太鼓職人とは、人と人をつなぐものすごい魔力を持っているのだ。その、魔法をかける作業の一部分だけでも、見られたことに喜びを感じた。
 「後でまた弘前に来たら、山で皮を乾かしているところを見せてあげるから」 塩谷さんが、笑顔でそう言った。 太鼓の神様。どうか、山に行く日が、どうかその日が雨ではありませんように!!


〜2013年11月13日に、塩谷さんはお亡くなりになりました。毎年のように尾島ねぷたに来て、みんなを見守ってきた「シオじい」は、みんなの心の中に、今でも生き続けています。〜


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